電話の向こうとこちら側とで、まるで真空のような、恐ろしいほどの沈黙が支配した。遠く汐見市にいるはずの須藤菜々でさえ、その電話越しの静寂から、息もできないような、窒息しそうなほどの圧迫感と重苦しさをひしひしと感じ取っているようだった。
菜々は、この知らせを夏子に告げたことを、ふと後悔した。しかし、世の中には、いつかは向き合わなければならないこともあるのだ。
「夏子……大丈夫?」
電話の向こうから、須藤菜々の痛ましさと心配が入り混じった声が届く。「ごめん……こんなこと、知らせるべきじゃなかったのかもしれない……でも、あの二人が笑って、あなたの前に現れて、もっと苦しめるくらいなら、今、知っておいてもらった方がいいと思ったの」
長い沈黙の後、須藤菜々は手にしていた本をゆっくりと閉じた。そっと目を閉じ、そして再び開く。瞳の奥に、どこか翳りのある光が揺らめいていた。淡々として、どこか遠くを見ているような、不思議なほど落ち着いた声が響く。「うん、分かったわ。ありがとう、菜々」
須藤菜々は深く息を吸い込み、声の奥に痛々しいほどの優しさを滲ませた。「夏子、本当に大丈夫?……悲しまないで……あんな人たちのために、本当に、価値なんてないんだから……」
星野夏子は俯き、指の間に挟まれたティーカップを見つめた。掠れた、どこか苦しげな声で呟く。「大丈夫よ。先に休んで。夕方、迎えに行くから」
そう言うと、菜々の返事を待たず、ぷつりとスマートフォンの通話を切った……
3年。もう、3年になるのね――
指先から温もりがゆっくりと消えていき、やがて冷たい風の中で完全に冷え切っていくのを感じる。夏子の、どこか儚げで美しい顔に、ふと自嘲的な冷笑が浮かんだ――
あれほどまでに深いと思っていた感情も、結局は時の流れという大海の中で浮き沈みし、こうして薄れ、冷え切ってしまうものなのね。まるでこのお茶のように、全ての温もりは、この冷たい風の中でゆっくりと冷え切っていく……
もう、自分を解放してあげましょう、星野夏子。もう、若くはないのだから。
どれほどそうして黙って座っていたのだろう。まるで前の世紀から次の世紀へと生きながらえたかのように感じるほど長い時間が過ぎ、ようやく彼女は茫然自失の状態から我に返った。そして、苦々しげに、すっかり冷え切ったお茶を仰ぐように飲み干した。
お茶が口に入った瞬間、苦くて氷のように冷たい味が、あっという間に胸の奥へと広がっていく。体が強張り、突き刺すような痛みさえ覚えるほどの冷たさだった。
その息詰まるような沈鬱さから夏子を引き戻したのは、祖父からの突然の電話だった。
「夏子か、わしじゃ。今どこにおる?もう出かけたのか?外は寒いから、一枚多く羽織っていくんじゃぞ。よいか、遅れるでないぞ!」
祖父の、優しく気遣わしげな声が響く。「竹韻楓林天号室じゃ、間違えるでないぞ!」
その時になって、夏子はようやく祖父との約束を思い出した。そして、今更ながらに、ずきりとした頭痛を感じずにはいられなかった。
浅く息を吸い込むと、夏子はゆっくりと立ち上がり、手にしていた本を書棚に戻しながら、低い声で答えた。「分かっています。少し外を散歩していました。時間通りに参りますから、ご心配なく、お祖父様」
「うむ。今夜は一度、家に戻ってきなさい。ちょうど文奈も休みじゃ。何か美味いものでも作ってもらうといい。最近、随分と仕事に打ち込んでいるそうじゃな」深田勇(ふかだ いさむ)はため息混じりに言った。
「夕方、空港へ友人を迎えに行きますので、夜はそのまま歓迎会になります。日を改めて、お祖父様とお母様のところへ顔を出しますわ。その時、上等なお茶でもお持ちしますから」
星野夏子は静かにそう説明した。
「まさかとは思うが、友人の方が、わしや文奈よりも大事だというわけではあるまいな?」
電話の向こうから、深田勇のどこか不機嫌で、拗ねたような声が聞こえてきた。
夏子は思わず苦笑し、しばらくしてようやく軽やかに笑った。「明日一日、ずっとご一緒しますわ。それじゃ、だめかしら?」
「それなら、まあ、よかろう!」
……
通話を終えると、夏子はちらりと時間を確認した。まだだいぶ早い。そこで、まず祖父の深田勇と母の深田文奈への手土産を買いに行くことにした。しばらく顔を見せていなかったから、やはり少し寂しい気持ちもあった。
……
星野夏子は時間管理に厳しく、常に時間を守り、滅多に遅刻するようなことはなかった。
約束の場所である竹韻楓林に着いたのは、ちょうど3時半。まさしくアフタヌーンティーの時間帯だったが、ここは比較的辺鄙な場所にあり、しかも非常に格式の高い会員制の場所であるためか、人影はまばらだった。
星野夏子は約束の場所、竹韻楓林天号室を見つけた。
礼儀正しく扉をノックし、それから静かに扉を開けて中へ入る。ふわりと、清らかで上品な茶の香りが漂ってきた。顔を上げると、まず目に飛び込んできたのは、ある男性の横顔だった。
真っ白な、体にフィットしたスーツを身に纏い、席に座っている。片手でスマートフォンを耳に当てて何かを話しながらも、もう片方の手は慣れた様子でお茶を淹れている。遠目にも、その背中からはどこか凛とした、近寄りがたい気配が漂っていた。
夏子は浅く息を吸い込むと、ようやくその姿から視線を外し、静かに歩みを進めた。男の向かいにある柔らかな長椅子に腰を下ろし、持っていた物を傍らに置く。そして、ふと顔を上げようとした瞬間、不意に、向かいの男もまた、すっと顔を上げたのだった……。
その顔立ちは、息をのむほどに端正だった。その瞳は、底知れぬ深みと叡智を湛えている。すっと通った鼻筋、薄い唇。気品に溢れた佇まいは、しかし決して華美ではなく、むしろ控えめで奥ゆかしい。どこか穏やかで、それでいて超然とした雰囲気を纏っていた。
ほんの一瞬、心が揺らめいた……
夏子はすぐに我に返った。どこか熱を帯びた美しい顔が微かに強張り、風のように涼やかな瞳の奥に、純粋な感嘆の色がよぎる――
この男性の雰囲気は、とても素敵だわ。
藤崎輝(ふじさき あきら)は夏子を一瞥すると、その底知れぬ瞳の奥に、淡く冷ややかな光が一瞬だけきらめいた。夏子に向かって軽く頷くと、電話の向こうの相手に淡々と言った。「どう処理すべきか、そちらで判断しろ」
その声は、まるでチェロの音色のように低く、深く、そして、どこまでも魅力的だった。
それだけ言うと、彼はスマートフォンを閉じた。
実は、昼食を終えた直後から、藤崎輝は家の祖母である大野恵子(おおの けいこ)から絶え間なく催促の連絡を受けていた。3分か5分おきにこの見合いのことを念押しされ、元々は少し気晴らしに外へ出ようと思っていたのだが、スマートフォンも鳴り止まない。仕方なく、この約束を果たしてようやく祖母の口を塞ぐことができる、というわけだった。
彼は視線を上げ、目の前の夏子を静かに見つめた――
淡いベージュのミドル丈コートを羽織り、清楚で上品な顔立ち。艶やかな長い髪はすっきりとまとめられ、数本の細い後れ毛が不規則に額にかかっている。風のように涼やかな瞳。なかなか良い雰囲気の女性だ。
「こんにちは。星野夏子と申します」
彼がスマートフォンを置いたのを見計らって、夏子は静かにそう切り出した。涼やかな声には、微かに乾いたような掠れが混じっている。
祖父からは以前、簡単に、見合い相手はかつての戦友の孫で、容姿も性格も良く、以前は自分と同じように自衛隊経験があり、防大にも通っていた、とだけ聞かされていた。ただ残念なことに、夏子は最後まで通うことなく、途中で海外の大学に編入してしまった。そして、目の前の男性も、数年間自衛隊に籍を置いた後、除隊して海外へ渡り、長い間海外で暮らしていたらしい。
藤崎輝は、優雅な手つきで夏子のためにお茶を注いだ。その整った顔に穏やかな表情が浮かび、淡々と応じる。「こんにちは、星野さん」
夏子は微笑むと、湯呑みを手に取り、一口含んだ。「お待ちになりましたか?」
「ちょうど着いたばかりです」
藤崎輝は簡潔にそう答えると、細く長い指で傍らの献立表を指した。「何か召し上がりますか?ここの点心は、お好きな方が多いようですが」
夏子は、開かれたページに色とりどりの点心が並んでいるのを目にすると、静かに首を横に振った。「結構です。お腹は空いていませんので」
「甘いものはお好きではない、とか?」
藤崎輝は彼女を一瞥した。その低い声は問いかけるような口調だったが、瞳の奥には、どこか確信に満ちた光が宿っている。